日本と西洋料理

みなと横浜の西洋料理

日本と西洋料理ということを語るときには、その受容の舞台となった街を忘れるわけにはいきません。開港したのは横浜、神戸、函館でしたが、中でも横浜では独自の西洋料理が花開きました。

 

開港した中でも一番江戸に近かったのが横浜です。横浜には、外交官、商人などの外国人が住みつき、神戸や長崎などよりもその数は多かったのです。ですから、西洋の文化もかなり色濃く流入してきました。

 

横浜には、外国人向けのホテルもたくさん建設されました。

 

当時、外国人居留地は、現在の米軍基地などと同じように治外法権でした。当然のことながら、日本人は簡単に近づくこともできません。そんな理由で、居留地のホテルやレストランの料理長は外国人であって、日本人がそこで働くということはまれだったと言われています。

 

当然そうしたレストランやホテルなどでは、外国人のコックが働いていましたが、しかし、日本は辺境の地ですから、それほど優秀なコックが来ることはなかったようです。ただ、一応は本場の西洋料理は供されていました。

食材の流通と保存

料理の歴史について語るうえで、多くの人が見落としがちなことがあります。それが、交通や食料の保存の技術のことです。現在では、流通はかなり高度に発達しており、遠隔地の食材であっても新鮮なままに届けることができます。また、冷蔵や冷凍の技術も非常に発達しているので、いつでも新鮮な食材を使うことができます。

 

ともあれ、明治期の日本においては、西洋料理に必要不可欠なたまねぎ、にんにく、トマトなどはほとんど栽培されていなかったのです。多くは輸入品に頼りますが、前述のように交通手段も保存方法も未熟であったため、生鮮食材の輸送は困難を極めました。日本に届いた時にはすでに傷んで使い物になりません。

 

ですから、コックが本場の人間であったとしても、本場のものをそのまま再現できるかどうかというと、難しかったのです。

 

そんな理由で、フランス料理における重要な食材は、日本のものに置き換えられました。エシャロットはラッキョウ、ポロネギを長ネギにするなどです。ですから、こうして作られた料理は、あくまで「西洋風」ということになってしまうのです。